2017年6月4日日曜日

バックレちゃえ!

うちの息子は自分に対して課するハードルが高すぎる。(記事を書いていくうちにそのハードルが高いのか低いのか分からなくなったけど...)
真面目過ぎるし、他人のせいにしないし、いろんな事をやり過ぎるし、考え過ぎる(私から見た感想)。
でも部屋は散らかっている。本人いわく優先順位でいうと部屋の片づけは最後なんだとか...私も似たようなもんだけれど。

先日、落ち込んでいた感じだったので何かイヤな事でもあったのかと聞くと、
俺ってキャパが小さいとか、俺ってこんな事もできないのかとか、俺ってネガティブとか... 
私から見れば決してそんなことはないのだけれど、自分でそう感じているだけなんだと思う。でも私が思うのとは裏腹で本人は自分のことをそう分析しているらしい。
だから、そう思っていること自体は認めて上げなければならない。

もっと詳しく聞いたら、仕事でミスをしたらしい。でも内容を聞くと「そんなこと?」って感じだった。
息子は「そんなことで?」と言う言葉に傷付くらしい。
「そんな事で悩んでいるの?ミスなんて仕事をしていれば起こるし、これからもっと晴天の霹靂的なこともあるし、死ぬわけじゃないし、命預かっている仕事じゃないし...」と息子を励ますつもりで私は言った。
でも「そんな事もできないんだよ、俺は...」という答えが帰ってきた。
私が立て続けに息子に言った言葉は長く生きてきた経験から出た言葉であって、息子はまだ経験が乏しい。

あと息子は、私が家で「電気点けっぱなし」「部屋を片付けろ」「自分で食べたものくらい洗え」「ジュースのパックを捨てろ」と注意喚起的に言ってることも、自分はそんな事も出来ないのか、そんなにキャパに余裕がないのか、と捉えてしまうようだ。私はしつこく言っているわけではない。ここで言わなければと思ったところで言っている(つもり)。

息子と話しをしている内に、家では多少甘えさせてくれという気持ちが見え隠れしている事に気が付いた。成人したからって、収入を得るようになったからって、一気に何でも自分でやりなさいは過酷なのかもしれない(実際にやっている方はいると思うが...)
私は、心配、焦りのあまり、愛の鞭の使い方を間違えてしまっていたようだ。

 お勉強が苦手でなんの取り柄もない私から見れば、理工系の学校の荒波を乗り越えて来たし、とある武道の資格も持っていて教えることも出来る。
きっと、それが故に基本的なことが出来ない俺って...と感じてしまっているのかも知れない。私から見れば挨拶もできるし、色んなところに行って人と接している(それがストレスの原因だったりして)。

私は子どもの頃(若い頃)の弟と息子を比べてしまうことがある。
弟は(わたしも)結構やんちゃだった。
母にうるさく言われると「うるせー!くそばばぁー」とか言っていた。
素行が悪くて「お前なんか産まなければ良かった」と弟が母に言われた時「産んでくれって頼んだわけじゃねぇー」っていい返していた。
その時私は、寺内貫太郎一家のばあちゃんみたいに何食わぬ顔で普通にご飯を食べていた。言いたい事を言い合っていたけど、母と弟は仲が良かった。

 息子にその事を話して、「くそばばぁーと思ったら言ってもいいよ、一応は多分怒って荒れると思うけどね。」と言ってみた。そしたら息子は「そんな事言えないよ。育ててくれた人に対して...」と返ってきた。「くそばばぁー!って言ったあとで罪悪感を感じてしまうのが怖いんでしょう?」と聞いてみると「俺はそんなこと言わない」と返ってきた。

がさつで男勝りで言いたい事は言う的な私の子どもだからって、自分の子どもも同じような感覚を持つとは限らないんだなぁ~と改めて思った。

これを書いていくうちに気が付いたのだけれど、挨拶、他人への気配りが出来るのに、自分の身の周りの事が出来ないということは、人に不快な思いをさせたくない。人優先で物事を考えているのかもしれない。でも、それは自分をよく見せたいという裏返しであるような気がする(傷付きそうなので息子にはこの事は言っていない)。
でも、外で自分を良く見せようとすることは生きて行く上である程度必要なスキルなので、間違ったことをしているとは思わない。

  息子は、あの野郎、あんな事いいやがって、今に見ていろって言う感情よりも、自分はまだまだだといった自分に対しての悔しい感情が芽生えるようだ。
あいつはクソと言うより俺はクソと思ってしまうみたいだ。

あまりいい事ではないけれど、たまには人のせいにしてもいいのでは?人のせいにした方が楽なのでは?本当は人のせいなのでは?と考えればいいのに、クソの自分を許してあげれば?と思う時がある。

私の育て方がそうさせてしまったのか、いろんな過程を経てそうなってしまったのか、生まれ持ったものなのかは分からない。

 話をしている最後の締めで私が子どもに言った言葉は、大抵の親だったら言わないと思う「苦しかったらバックレちゃえ!」だった。

その言葉に対して息子の返事は「俺は逃げない、成長したいんだ。」だった。
でも、その言葉の裏側には自分のキャパを超えたいけれど中々越えられない、理想の自分になりたいけれど中々なれないという思いが見え隠れしていた。
仕事場はいい人ばかりという事で、仕事内容、人間関係には特に問題はない模様。

私が言った「バックレちゃえ」と言う言葉に安心したのか、しばらくしてご飯をパクパク食べだした。

きっと、自分がどうしてもだめになった時、見捨てず自分の全てを受け入れてくれる場所があると言う事に気付き安心したんだろうと思う。

私が生きている間はそんな存在で居続けようと思う。息子がクソだと思っている部分を受け入れてあげられるそんな場所を作って行こうと思う。

だから、働き始めた息子に対して、心配するがあまり、焦って無理強いすることのないようここに誓います。

※これはパロディです。この記事とは関係がないかも...
でも寺内貫太郎一家のような家族が好きです。それぞれに悩みは抱えているみたいですが...

  


0 件のコメント:

コメントを投稿