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2016年10月3日月曜日

自分の正しいと相手の正しいは違う




たぶんあの人は私の事を気にいらなかったんだと思う。気にいらない存在だったんだと思う。たぶん今も気にいらないのだと思う。既婚者:独身、子育て経験者:未経験者、…「どちらがどうでどちらがこう」というのは主観になってしまうので書かないが、やはり相反する者同士、経験と前提が違うのだ。



私のやることなすこと、浅はかな考えの基(あくまでも主観)、否定されることが多かった。私の正しいとあの人の正しいは違っていた。私の正しいをあの人に押し付けることなく、一応、私の考えを伝えた。でもその人の正しいと私の正しい、そして経験も前提も違うため、伝わらなかった。伝わらないと分かっていても、一応、私の主張はしておいた。でも、あの人は、自分の正しいはいつも私に押し付けた。

ある時、絶対にこれは私の正しいを曲げられない事案が発生した。その事に対し私の正しいを威圧的に相手に伝えてしまった。それに対して相手も自分の正しいを私の正しいに対して全力で全否定と言う形でぶつけて来た。(威圧的に伝えてしまった事は反省しなくてはならない。これから気を付けようと思う。)

その後、険悪な空気が二人の間に流れた。今も流れている。でも、流れは変えなければいけない。一応、基本的な挨拶、声かけは変わりなくするようにしている。

今まで、あの人は自分の正しいを否定された事がなかったのかもしれない。あったとしても、相手の正しいを否定する形で自分の正しいを守り通していたんだと思う。

今、あの人は、ちょっと弱気になってしまっているように見える(そう見えるだけで本当のことは相手にしか分からない)。見ていて気の毒に思ってしまうが、ご機嫌とりなんかしない。

私も、自分の正しいと相手の正しいは違うと分かるまで、時間がかかった。そして、自信喪失になったこともある。

自分の正しいと相手の正しいは違うことがある。双方ともに自分が正しいと思っている。そのことを分かっていれば、少しは悩みやストレスも軽減できると思う。

人間は分かり合えないことも多いが、「それぞれに正しいがある」という事を知っていれば認め合う事は出来ると思う。

2016年10月1日土曜日

空気なんて読まない


「空気を読んでくれよ」と息子がいった。


私は即座に「空気なんか読まない!」と返した。
空気を読むということは、その時点で影響力のある人などがやっているコトに気を配ったり、不快な思いをさせないように神経を使うコトだと私は解釈する。
息子はきっと、その言葉を発した時、私の何らかの言動に対して、少なからず、不快感を持ったのだろう..。それがなんであるか大体、察しはついている。
でも、私は不快感を与えようというつもりは毛頭なく、反対に息子の「空気を読んでくれよ」と言う発言に不快感を持った。
だから、「空気なんか読まない!」と言葉にして伝えた。
人の顔色を見て(空気を読んで)生きていくのはもうたくさんだ..。空気を読み過ぎて、心身をやられたコトもある。
「空気を読む」なんて言葉、大っ嫌いだ!
あと、「ツーと言えばカー」という言葉もあまり好きじゃない。
以前、職場の男性上司に「ツーと言えばカーだろう」と言われたことがある。それが出来ないと、気が利かないという風に判断されてしまう事があった。「俺の気持ちは察して当たり前」とでも思っていたのだろうか。
何度かそのような事があり、しまいには「言葉で言わなければ分からないです。」と伝えたことがある。
以心伝心という言葉と同じような意味合いだと思うが、自分はそのつもりで行った行為でも、実は相手にしてみれば違うコトを欲していて空回りしてしまう場合がある。空回りしてしまうことで、誤解を招き険悪な関係になってしまうこともある。
やはり、言葉にしなければ正確には伝わらない。言葉にプラスして、表情と声のトーンも重要だ。
「ありがとう」「愛している」などの言葉、家族間では言わなくても分かってくれていると思う。という考えの方は言葉に出して言ったほうが、よりより良好な関係が保てると思う。家族以外の人に対してももちろんのこと。
なんか、話しがタイトルと少しずれて来てしまったが、自分の抱いている気持ちは言葉にしなければ相手には上手く伝わらないのだ。空気では伝わらないのだ。
私は、「空気を読む」「ツーと言えばカー」という言葉が嫌いだ!
そんなの無視して、自分軸で生きて行くんだ!

2016年9月29日木曜日

コトを荒立てる人


以前、私の職場でコトを荒立てる人という風に見られている人(評価されている人)がいた。今思えば、その人は当たり前のコトを言って改善を試みていたのに、当たり前のコトもせず改善しようともしなかった人が、自分の立場、現状を保つためにそう評価していたのに過ぎなかったのだと思う。



私も十数年前に、これから初めて一緒に仕事をする上司になる人から「いろんな人とやり合ってんだって…」と言われた事があった。

コトを荒立てる人と言うと、多くの方は、反発する人、協調性がない人、人との和を大切にしない人、空気が読めない人(私はこの言葉が嫌い、誰の為の空気?)という言葉が頭に浮かぶのではないでしょうか。

協調性があるコト、和を重んじるコトを履き違えて認識している人というのは、ある意味で影響力のある人、スクール・職場カーストで上位にいる人、マウンティングな人(と思われている人)に対して、自分の考え、意見、主張を言わずに(言えずに)、自分も誰も傷付けず、傷付かずにコトを済まそうとしているよう私には感じる。

先ほど書いた上司は、自分に対して逆らうコトの抑止力として私に釘を刺したのかもしれない。そりゃぁ、上司にとってイエスマンの方が都合いいですよね。でも、話したことも、ましてや一緒に仕事をしたこともないのに、噂だか吹き込みだか何だか知らないけれど、先入観で見られ、そんなレッテルまで貼られた私はいい気分ではなかったし、不信感と同時に、自分の心の中で上司でも尊敬できない人というラベルを貼らざるを得なかった。

ひと昔前なら、いわゆるコトを荒立てる人と言われていた人は、組織のお荷物的存在だと思われていた節があったのかもしれない。

でも、今ではインターネットの普及でいろんな人が違った考え、モノの捉え方を発信できるようなり、多くの人たちの目に触れる機会が多くなった。

 先日、私から見て、浅はかな発言を頻繁にする方がいて、いい加減うんざりしてしまい、私はついにいわゆるコトを荒立てる言動を取ってしまった。
その言動にはもちろん悔いはない。

私の言動は吉と出るか凶と出るか、その答えは直ぐには出ないと思う。
でも、何かしらに影響を与えたことは確かだと思う。

2016年9月28日水曜日

活躍していて欲しい人

あるお取引先の新入社員が私の職場の担当になった時の話だ。

その人は、言ってみれば、お人好しで要領が悪い人だったのかもしれない。でも、私から見れば真面目で誠実だった印象がある。

その人が2年目に他の所の担当に変わると聞いた時、職場のマネージャーが、「どこ行ったって、使い物にならないんじゃない?」といった。

まだ入社して間もない人に、自分の主観、価値観で他の人にも聞こえるように言ったコトを今でも覚えている。凄く不快感を感じた。

でも、その発言をしたマネージャーは違った職種となり、しばらくして、自ら早期退職をした。

指示する側から指示される側になったのがイヤだったのだろうか..。

本当に顧客応対が雑で、はっきり言ってそれこそ使い物にならないと言った感じだった。(私の主観)

あのお取引先の彼は元気にしているだろうか..。

ミスマッチだと思い、職を変えているのだろうか…。

ちょっと、息子に似ていたから余計に気になる..。

活躍していてほしいなぁ…。

2016年9月19日月曜日

一級自動車整備士の資格を持っていた叔父の無念

叔父は自動車の一級整備士だった。その資格を持っていたと言う事は、車が大好きだったと言う事。
でも、その大好きだった車の仕事も出来ない、車にも乗れない状態になってしまう。
冤罪によって…

私が小学校、中学校の夏休みに、父の実家(叔父の家)に何度か遊びにいった。
叔父はいつもニコニコしていて、しゃべり方も穏やかだった。4人兄弟の末っ子だった。
飼っている(土間に勝手に入って来る?)猫を見て「いつも気ままでいいなぁ」と優しそうな表情で猫を撫でながら言っていた姿が目に浮かんでくる。
私の母が作った料理を「姉さんおいしいよぉ~」と言ってニコニコして食べていた顔も心に焼き付いている。

その数年後、それと対照的な表情を見ることになるとはその時誰が予想しただろうか…

叔父はひき逃げの被疑者として逮捕されてしまった。数年後、真犯人が見つかり叔父の容疑は晴れたが、もうその時は以前の叔父ではなくなっていた。
父が言うには、多分、きつい取り調べで精神がまいってしまったのでは?と言っていた。(きついの意とするところはご想像におまかせします。)また、田舎ということもあり人の目や心ない言葉などの影響もあったんだろうと思う。

容疑が晴れて数年経った頃、父から叔父が家に来ているからと呼ばれて行ってみると(私はこの時は結婚していて別のところで暮らしていた)、丸刈りのニコニコしてる叔父が座っていた。
挨拶をして、しばらく話をして、今度、伊豆に食事をしに行く事を約束して帰った。

伊豆に車ではなく、電車で食事に行った。海の幸、山の幸を食べながら、父と叔父は子どもの頃の昔の話などをしていた。
 叔父は、ちょっとオドオドしながら料理が運ばれてくる度に、「ありがとう」とニコニコしながら言っていた。さらっとした言い方ではなく、すごーく気を使っている言い方だった。笑顔もぎこちなく少し気の毒に思えた。
 叔父のニコニコしてるかと思えば、時々目をランランとさせ、なにかに怯えている表情…
昔の叔父とは違っていた。

叔父は父の家に1週間位泊まり、父と一緒に父の故郷でもある自分の家に帰って行った。(結構遠方、来た時も父が迎えに行った)

叔父が帰った後、母から聞いた話によると、突然「警察が来る」とか「警察を呼んだでしょう」などと言っていたと言う。「警察なんか来ないから」となだめても、怯えた表情をしていたと言う。

警察を悪く言いたくないが、冤罪事件があるのも事実。私もあることの目撃者として調書を取られたことがあるけれど、奥の方から「大袈裟に書けよ」と声がした時には、叔父の事件の後だったということもあり不信感を覚えた。

叔父はしばらく、お寺でお世話になったり、そこで働いたり、家の畑仕事を手伝いながら生活をして、15年位前に肺炎で亡くなった。

冤罪をかけられ精神的ダメージを受け、大好きだった車の仕事も出来なくなり、車にも乗れなくなってしまった叔父。今思うとその時はまだ30代だったと思う。いろいろな意味でこれからという時に巻き込まれてしまった。

本当に無念だったと思う。ここに書くことでその無念さとそんな叔父のような人間がいた事、冤罪事件の悲惨さが伝わればと思い記事にしました。

天国にいる叔父さん、少しは無念が晴れましたかぁ…

2016年9月17日土曜日

変わり者…?

あそこは変わり者の宝庫だから」と私がそばにいるのを知ってて、ある人が嫌な感じで話していた。
あそことは私がいるところ。
何を持って変わり者と言っているのか、自分がノーマルだと思っているのか、何を持ってノーマルと思っているのか、自分と違う色の人が居てはいけないのか、自分と違う感覚の持ち主には嫌悪感を持っているのか、嫌悪感をあからさまに出して傷ついている人を見ることで優越感に浸り悦に入っているのか...

変わり者と言われる人は時に人の為に便利なものを開発して、他の人はその恩恵に預かっていたりする。(私にはそんな能力はありませんが…)
今変わっている人と言われている人は、時代の先を見ているのかもしれない。見えていているのかもしれない。
今変わっていると言われている人のその言動は数年後には当たり前の事になっているかもしれない。

私は、傷ついてなんかいないよ。
あなたを残念な人だと思っているだけ。