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2017年5月19日金曜日

今に集中する

過去の嫌な事、数時間前の嫌な事、昨日の嫌な事。
将来の先読みし過ぎの不安、心配ごと、あるかないか分からない事。
そんなネガティブな感情、思考が襲ってきたら今に集中してみる。
今に集中する。

『何者』を見て思ったことを書き連ねて見た。

前々から気になっていた『何者』をアマゾンプライムで見た。

自分の好きな事、得意な事、やりたい事、成し遂げたい事を封印して、企業の好むであろう答えを用意、準備をして就活に臨む。自分という存在は1人なのに、それぞれの企業に好まれるべくいくつもの自分を創作して就活に臨む。

内定を貰って一企業で働く。そこのみで働く。その企業に認めてもらって働き始める。社会全体に認められたような錯覚に陥る。しばらくして、いくら自分なりに頑張っても昇進もままならず、承認欲求が満たされなくなる。そして特に人から認められたい欲求の強い人は心身に支障が出て来る。

生きて行くには収入(お金)が必要で、生きて行く手段として安定した一つの企業で働くことを決めたのなら、自分とミスマッチな部分が多いと分かっていてもマッチしている部分を強み、アピールしてそこで働き続ける人もいる。それでも昇給、昇進するかどうかは分からない。(このご時世、上を目指したい者もいればそうでない者もいるが)

でも、正社員という称号を獲得できたとしても、ずーっと正社員でいられる保証なんてない。会社が潰れたり、自分が病気になり戦力外通告を受けたりする場合だってある。

ここまでいろいろ書き連ねてきたけれど、そんなこんなで、いろんな事を考えても、結局はなるようにしかならない。その時はその時。その時に考えるしかない。

それならば、やりたい事、夢、これで生きて行きたいと思うコト・モノがある人はそれを目的に生きて行けば良い。それで生活するのに収入が足りないのなら副業を手段にすればいい。

特別な夢、これで生きて行くんだというものがない人は仕事をして収入を得ることを手段で生きる事を目的にすればいい。

日本の企業のほとんどが副業禁止だし、日本人のほとんどが副業していたりフリーランス契約社員のことをネガティブ思考で見ている。(あくまでも私の感想です)

ある技術を持っていても、企業に(特に大手)に就職が決まってもその専門分野を活かせる仕事が出来るという保証がない場合もあり、まったく関係のない仕事をすることになることもある。そうなる確率が高いと判断した人の中には、最初から契約社員フリーランスを選択する人もいる。浅はかな思考の人は、その選択をした人のことを就職に失敗した人とレッテル貼りをする。(多数いると思う)


以前、どこかは忘れたけれど「なぜこの企業を志望したんですか?」「なんとなく」「俺もそうだった」「わははははー」という感じの面接官と就活生のやりとりのCMがあったなぁ...
今では嘘でもその企業を熱望しているのをアピールしなくてはならない。逆に「なんとなく」といった方が正直だと思われて採用されたりして...(冗談ですよ、横道それました。)

この映画で印象に残った言葉は
 ★「頭の中にあるうちはなんでも傑作」
机上の空論、実行力のない能書き野郎、取り敢えず行動しないと始まらない、やらぬ後悔よりやる後悔的な感じだと思う。よくいますよね、御意見番的な人。自分では動かないで評論ばっかしている人。

★「内定って言葉って不思議な言葉。自分を肯定された感じ。」
その時に内定をもらって肯定されても、仕事なんてそこからがすべての始まりで、否定されたり肯定されたりです。

★「就活が得意なだけだった。何にもなれた気がしねーよ。」
その仕事が得意か、自分に合っている、望んでいた仕事かどうかは別で、本当の自分を封印して勝ち取った内定なら、なお更そう思うのかも知れない。

★「あなた自身を1分間で表現してください。」…?そんな1分間で私の何がわかるの?と思うけれど企業はその人が会社にマッチしているかどうか振り分けているつもりだけれど、それでもミスマッチは発生する。

やりたい事があるのにやりたくない事を選択させて、させられてしまう日本の空気。
空気読むってなんなの...?誰かのメンツを立てる為?自分のメンツの方が大切だと思う。
社会不適合者と呼ばれている人達がいるけれど実はその人達の方が先端の考えを持っていたりもする。
でも、これからは色んな働き方が、自分に合った働き方が認められる時代がきっと来ると思う。今、社会不適合者と呼ばれている人達の能力も発揮できる時代が来ると思う。
自分以外の何者になる必要なんてないと思う。







何者

  
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2017年5月17日水曜日

血糖値とパフォーマンス

私は過去に、血糖値の調整が上手くできない反応性低血糖症という診断を受けたことがあります。

体調が思わしくなかったので、7、8年前に朝ごはん抜きで(夜ごはんを抜いたかは忘れた)病院に午前の10時頃に入り、75gのブドウ糖液を飲み、椅子に座った安静状態で30分ごとに血糖値を測って行くというブドウ糖負荷検査を行いました。
本来これは、糖尿病か否かの検査の為に行う検査なのですが、低血糖症か否かにこの検査を行ってくれる病院があったので検査を受けることにしました。当時はこの症状を理解し認知してくれている医者はわずかだったと思います(私の見解です)。

健常者は大概、約3時間で食事前の血糖値に戻るので、3時間経ったところで検査を終了する予定だったのですが、先生があと1時間延長しましょうということで行った結果、4時間後に血糖値58という結果が出てしまいました。(通常は70~100程度)3時間で切り上げていたら異常なしという結果になっていて、今も原因不明で苦しんでいたと思います。

私の場合、血糖値を下げるために(体内にグルコースをグリコーゲンとしてを貯めておくために)出るインスリンが、もうこれ以上出なくていいのに出続けてしまっていると血糖値とインスリンの分泌量の変化を表すグラフを見ながら先生が教えて下さいました。
この時、先生がおっしゃった言葉は「食事の後、3時間くらいたったら捕食をして下さいね。太らない程度に(笑)。」でした。(最初の方は低血糖が怖くて糖分を取り過ぎて...)

今は、以前の元気だった頃の私にだいぶ近づいて来ましたが(マイナス年齢ですが)、その頃の絶不調の私は、体が動かない(すぐエネルギー切れになる)、頭が働かない、ミスが増えた、冷汗がで出るなどの症状のせいで自信喪失に陥っていて、血糖値、インスリン、低血糖膵臓、ばかり検索していました。
また、自分で血糖値測定器&針&センサーを買い、この症状の時は上がっているのか下がっているのかと何かに取り憑かれたように測っていました。自分で自分のコトを実験していました(笑)。
(糖尿病の患者さんには健康保険で貸出してくれるのですが、低血糖症の人には貸出しはしていないのです。)
※詳しくはこの記事に書いてあります。

 今ではだいぶ体調も改善してきましたが、先日 以下の記事を目にしました。

 グーグルの社員と私の仕事内容(頭脳面)は比べものにはならないのですが、
上記の記事から特に気になった個所を抜粋すると(青い字のところ)

血糖値がキーとなる

「体力」は、向上させるイメージがつきやすいので置いておくとして、「根性」をどう高めるのか?という問いに対して、面白い話がありました。
キーワードは血糖値です。
NASAでも研究されているらしいのですが、「血糖値が一定であれば、きちんと脳が働く」と分かっているそうです。
血糖値が下がると、集中力が落ちたり、クリエイティビティも落ちたり、他人への共感力も落ちるので、血糖値をコントロールしようとNASAは考え、研究をしているみたいです。

血糖値のコントロールのためには

血糖値のコントロールには「食事のタイミング」が大事です。間食も含め、3〜4時間に一回は何か食べた方が良いそうです。
エナジードリンクや、甘いものを食べて血糖値を上げる方法などは、一時的にドカンと血糖値があがり30分は働けるけど、その後の3時間脳が停滞しちゃうので良くないと言っていました。
ということが書かれていました。

そうなんです。食事量が多くても少なくても3~4時間後には、元の血糖血に戻ってしまうのです。下がった血糖値は、上げるためのホルモンが出て上げてくれることは上げてくれるのですが、そのシーソーが上手くいかないと、一時的に低血糖の状態になってしまうことがあるのです。

私の場合、絶不調の時に比べてだいぶ改善されてきましたが、それでもシ―ソーが上手く行かないことがあるので、動き過ぎてしまったり、食事から3時間程度経っていて、低血糖っぽい感じの時は、糖分を取るようにしています。そうすることで仕事、私生活の質が良くなりました。(仕事量によって多少変わってくると思いますが、気を付けなければならないのは頻回食でも一日の食事≒カロリーの取るべき摂取量をなるべく上回らないようにすることです。そうしないと肥満になってしまいます。)

大工さんなどを見ていると、今に始まったことではなく昔からの習慣で、必ず10時頃に休憩(捕食)、12時頃にお昼ごはん、15時頃に休憩(捕食)を取っていますよね。体力を使うということもあるのかも知れませんが、仕事の能率、効率を上げる為に体の仕組みを知っていてそのようにしているのではないのかなぁ~なんてこの記事を書きながら思いました。

今の職場の方で、「まだご飯行っていない」「休憩行っていない」とアピールしてくる人がいます。ひと昔前まではそれが仕事が出来る人、仕事熱心な人(本当に出来るか、熱心かは別)と他人には見られていて、高評価も貰えていたかも知れません。
でも、今では自分のマネージメントが出来ていない人、勝手に休憩に行かない人と捉えられるだけです。

エネルギーに関係するものは血糖値だけではありませんが、自分の身体(心身)の仕組み、癖、特長、弱点などを捉えておくとパフォーマンスの向上に繋がるような気がします。

※あくまでも、この記事は私の経験に基づき書いたものです。何か他の病気を持っていたり、体質によっては害になる場合もあると思いますので、お試しになる方は自己責任でお願いいたします。

2016年11月4日金曜日

自分軸

昔はあんな人じゃなかったよね…っと
私も言ったことあります。
今思うとそれは相手が変わって自分が変わっていない時、変われなかった時だったと思います。

あんな人って…何?
その人にとって都合が悪くなるとあんな人になるのか、
お人好しでなくなるとあんな人にになるのか、
自分軸で生きようとするとあんな人になるのか…。
でも自分軸と自分勝手とは違うことくらい分かっていますよね。分かって言っていますよね…?
私はあんな人って言われてもいいです。自分軸で生きて行くと決めたんですから。


2016年10月21日金曜日

会社という村社会

いつか読んだ、ある方のブログに、会社は村社会という言葉が書かれていた。
思わず、なるほどと思った。
村社会という言葉をぐぐってみたら以下のような文章が最初に出て来た。

1 有力者を中心に、上下関係の厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な村落。 の決まりに背くと「八分」などの制裁がある。 2 同類が集まり、ピラミッド型の序列の中で、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会を1にたとえた語。(そのままコピペしました)

例えば、住んでいる場所が居心地が悪いとなぁと感じていた場合、なぜ居心地が悪いのかを考えると思う。自然と何が原因か感じている場合もあると思う。その時の対策として、自分をその環境に順応させるか、我慢するか、引っ越すかなどの対応をすると思う。

石の上に3年という言葉がある。またまたググってみると
冷たい石でも三年間座り続ければ暖まることから転じて、何事にも忍耐強さが大切だということ。「三年」は三年ちょうどの意味ではなく、多くの月日を表している。「石の上にも三年居れば暖まる」ともいう。(そのままコピペしました)

以前は我慢が美徳と考えていた私ですが、長年生きて来て、いろんな経験して来て、過剰な我慢は美徳ではない、冷たい石の上に三年いたって暖まらない事もある、更に言えばそんなことしていたら石は暖まるかもしれないが自分の脚が痺れてしまうし、身体がおかしくなる、というに風に考えるようになった。忍耐強さは必要なスキルだと思う、あればそれに越したことはない。でもそれは何事にもではない。

自分がめざす場所、こうして自分は生きて行きたい、生きていくんだというコトがある人、人生をかけてこれを成し遂げたいコトが明確な人は、自分の掲げた目標と関係ない(関係があるかどうかは後になってみないと分からない場合もあるが…)、闇雲に我慢することは不毛だと考えるのかもしれない。

一度息子に「石の上のも三年って言葉があるでしょう、少し続けてみてだめだったらやめれば」的なことを言ったことがある。そうしたら「その時間が無駄」という返事が返って来たことがある。

就職して、数年で辞めてしまう人に、根性無しとか我慢が足りないとか言う人がいるけれど、そういうことで辞めてしまう人ばかりではないと思う。自分にミスマッチだと思ったら早い段階から見切りをつけて去って行く人も多いと思う。

一度きりの人生、自分が成し遂げたいもの・ことがある人、仕事が手段でなく目的だと思っている人、目的を達成するのに十分なスキルをもっている人は、居心地が悪く、自分とミスマッチな会社(場所)と感じたら、そこを去って行く(去ることができる)人は少なからずいると思う。

私の場合、生きて行くこと、生活していくことが目的であって、仕事は目的ではなく生きて行く為の手段となっている。その会社という村社会が私にとってミスマッチだと感じていても、よっぽどの事がない限り、今はしがみつくしかないのだけれども…

2016年10月16日日曜日

一流って何?

何も持って一流というのか。
大企業だと一流というのか。
その企業が一流の仕事をしていなくても一流というのか。
名前が通っていれば一流というのか。
いわゆる偏差値の高い高校・大学、その他教育機関を一流というのか。
偏差値になんの意味があるのか。
まんべんなくいろんな事ができないと一流じゃないのか。
まんべんなくいろんな勉強をしないと一流じゃないのか。
何かに突出した才能を持っている人は一流じゃないのか。
何かに突出した才能を持ち、それを自分自身も分かっていて、それを活かして生きている人も一流だと思う。その人こそ、その人だって一流だ。
人には得意分野、不得意分野がある。向き不向きがある。
それに逆行してまで、自分に嘘をついてまで得意なふり、向いてるふりをする必要があるのか。
偏差値優先教育、偏差値優先社会なんてクソくらえだ!
人がなんと言おうが、自分の人生が一流だと思っていればそれでいいではないか。
 クリエイタ―:うっちん☆さん

2016年10月8日土曜日

例えばの人生

例えば、大好きだった趣味中心の人生を継続し謳歌していたら、幸せだっただろうか…。
例えば、仕事の出世にこだわった人生を送っていたら、幸せだっただろうか…。
例えば、ブランド品を身にまとい自分を着飾ることに執着をもった人生を送っていたら、幸せだっただろうか…。
例えば…。
いままで築きあげた物事を手放さなければならない、執着を捨てなければならなくなった時、もったいなく思い、そして、私が今まで持っていた物事を持っている人が羨ましく思えた時期があった。
誰も何にも言っていないのに、誰も何にも思っていないのに、誰も私のコトなんか気にしてないのに、劣等感と自己否定の感情を抱いて勝手に自爆している自分がいた。
でも、手放してしばらくしたら、これから築き上げなければならない物、こだわらなければならないコトに自然と取り組んでいた。
それは、私という人物にふさわしい生き方だった。身の丈にあった人生を生きるということだった。
例えばの人生を送る為に、タイムスリップしたいですか?と今の自分に問いかけてみる。
「いいえ、今の自分が好きだからこの人生がいいです。」という答えが返ってきた。
今まで、もちろん楽しいコトもたくさんあった。でも、悩んで、もがいて、這いつくばってやっとここまでやってきた。
過去は振り返らないとは言わない。過去があって今の私があるから。
たまに、後ろを振り返りながら、自分の生きざまを確認しながら、これからも人真似ではない自分の道を歩いて行く。

2016年10月3日月曜日

自分の正しいと相手の正しいは違う




たぶんあの人は私の事を気にいらなかったんだと思う。気にいらない存在だったんだと思う。たぶん今も気にいらないのだと思う。既婚者:独身、子育て経験者:未経験者、…「どちらがどうでどちらがこう」というのは主観になってしまうので書かないが、やはり相反する者同士、経験と前提が違うのだ。



私のやることなすこと、浅はかな考えの基(あくまでも主観)、否定されることが多かった。私の正しいとあの人の正しいは違っていた。私の正しいをあの人に押し付けることなく、一応、私の考えを伝えた。でもその人の正しいと私の正しい、そして経験も前提も違うため、伝わらなかった。伝わらないと分かっていても、一応、私の主張はしておいた。でも、あの人は、自分の正しいはいつも私に押し付けた。

ある時、絶対にこれは私の正しいを曲げられない事案が発生した。その事に対し私の正しいを威圧的に相手に伝えてしまった。それに対して相手も自分の正しいを私の正しいに対して全力で全否定と言う形でぶつけて来た。(威圧的に伝えてしまった事は反省しなくてはならない。これから気を付けようと思う。)

その後、険悪な空気が二人の間に流れた。今も流れている。でも、流れは変えなければいけない。一応、基本的な挨拶、声かけは変わりなくするようにしている。

今まで、あの人は自分の正しいを否定された事がなかったのかもしれない。あったとしても、相手の正しいを否定する形で自分の正しいを守り通していたんだと思う。

今、あの人は、ちょっと弱気になってしまっているように見える(そう見えるだけで本当のことは相手にしか分からない)。見ていて気の毒に思ってしまうが、ご機嫌とりなんかしない。

私も、自分の正しいと相手の正しいは違うと分かるまで、時間がかかった。そして、自信喪失になったこともある。

自分の正しいと相手の正しいは違うことがある。双方ともに自分が正しいと思っている。そのことを分かっていれば、少しは悩みやストレスも軽減できると思う。

人間は分かり合えないことも多いが、「それぞれに正しいがある」という事を知っていれば認め合う事は出来ると思う。

2016年10月2日日曜日

適正

恥をかくのが怖くて挑戦しないの?
その年でそんなコトも知らないの?って言われてダメージを受けるのが嫌で聞く事も挑戦もしない。委縮して出来なくなってしまう。


人それぞれ育ってきた環境、歩いて来た道、得意分野、興味が違うのだから、知らないことがあるのは当たり前。
あの人の得意分野は私の苦手分野、あの人の苦手分野は私の得意分野。
そんな事を当たり前のように自然と解りあい、認めあって、関わって行けたら、少しはみんなが生きやすい社会に近づくと思うのです。
だから、人の不得意なコトに対して優越感満載で、鬼の首を取ったかのように指摘するべきではないのです。


不得意なコトは一応は努力する必要はあると思うけど、不得意なコトに時間を費やすより、得意、好きなコトに時間をかけた方が効率的なのです。
得意で好きなコトをやっている人の顔は輝いているのです。


あなたの得意分野をあの人の得意分野に無理やりさせる必要はないのです。委縮して本来の実力を出せなくなってしまうのです。
誰にだって適性はあるのです。


あなたにだって苦手なコトはあるでしょ?
あなたの苦手なコト知っていますよ…。あなたの得意で好きなコトもね…。

2016年10月1日土曜日

空気なんて読まない


「空気を読んでくれよ」と息子がいった。


私は即座に「空気なんか読まない!」と返した。
空気を読むということは、その時点で影響力のある人などがやっているコトに気を配ったり、不快な思いをさせないように神経を使うコトだと私は解釈する。
息子はきっと、その言葉を発した時、私の何らかの言動に対して、少なからず、不快感を持ったのだろう..。それがなんであるか大体、察しはついている。
でも、私は不快感を与えようというつもりは毛頭なく、反対に息子の「空気を読んでくれよ」と言う発言に不快感を持った。
だから、「空気なんか読まない!」と言葉にして伝えた。
人の顔色を見て(空気を読んで)生きていくのはもうたくさんだ..。空気を読み過ぎて、心身をやられたコトもある。
「空気を読む」なんて言葉、大っ嫌いだ!
あと、「ツーと言えばカー」という言葉もあまり好きじゃない。
以前、職場の男性上司に「ツーと言えばカーだろう」と言われたことがある。それが出来ないと、気が利かないという風に判断されてしまう事があった。「俺の気持ちは察して当たり前」とでも思っていたのだろうか。
何度かそのような事があり、しまいには「言葉で言わなければ分からないです。」と伝えたことがある。
以心伝心という言葉と同じような意味合いだと思うが、自分はそのつもりで行った行為でも、実は相手にしてみれば違うコトを欲していて空回りしてしまう場合がある。空回りしてしまうことで、誤解を招き険悪な関係になってしまうこともある。
やはり、言葉にしなければ正確には伝わらない。言葉にプラスして、表情と声のトーンも重要だ。
「ありがとう」「愛している」などの言葉、家族間では言わなくても分かってくれていると思う。という考えの方は言葉に出して言ったほうが、よりより良好な関係が保てると思う。家族以外の人に対してももちろんのこと。
なんか、話しがタイトルと少しずれて来てしまったが、自分の抱いている気持ちは言葉にしなければ相手には上手く伝わらないのだ。空気では伝わらないのだ。
私は、「空気を読む」「ツーと言えばカー」という言葉が嫌いだ!
そんなの無視して、自分軸で生きて行くんだ!

2016年9月29日木曜日

コトを荒立てる人


以前、私の職場でコトを荒立てる人という風に見られている人(評価されている人)がいた。今思えば、その人は当たり前のコトを言って改善を試みていたのに、当たり前のコトもせず改善しようともしなかった人が、自分の立場、現状を保つためにそう評価していたのに過ぎなかったのだと思う。



私も十数年前に、これから初めて一緒に仕事をする上司になる人から「いろんな人とやり合ってんだって…」と言われた事があった。

コトを荒立てる人と言うと、多くの方は、反発する人、協調性がない人、人との和を大切にしない人、空気が読めない人(私はこの言葉が嫌い、誰の為の空気?)という言葉が頭に浮かぶのではないでしょうか。

協調性があるコト、和を重んじるコトを履き違えて認識している人というのは、ある意味で影響力のある人、スクール・職場カーストで上位にいる人、マウンティングな人(と思われている人)に対して、自分の考え、意見、主張を言わずに(言えずに)、自分も誰も傷付けず、傷付かずにコトを済まそうとしているよう私には感じる。

先ほど書いた上司は、自分に対して逆らうコトの抑止力として私に釘を刺したのかもしれない。そりゃぁ、上司にとってイエスマンの方が都合いいですよね。でも、話したことも、ましてや一緒に仕事をしたこともないのに、噂だか吹き込みだか何だか知らないけれど、先入観で見られ、そんなレッテルまで貼られた私はいい気分ではなかったし、不信感と同時に、自分の心の中で上司でも尊敬できない人というラベルを貼らざるを得なかった。

ひと昔前なら、いわゆるコトを荒立てる人と言われていた人は、組織のお荷物的存在だと思われていた節があったのかもしれない。

でも、今ではインターネットの普及でいろんな人が違った考え、モノの捉え方を発信できるようなり、多くの人たちの目に触れる機会が多くなった。

 先日、私から見て、浅はかな発言を頻繁にする方がいて、いい加減うんざりしてしまい、私はついにいわゆるコトを荒立てる言動を取ってしまった。
その言動にはもちろん悔いはない。

私の言動は吉と出るか凶と出るか、その答えは直ぐには出ないと思う。
でも、何かしらに影響を与えたことは確かだと思う。

雑草

雑草はどこでも生息できる、かのように思われている。
でも、その場所に猛毒があったら、死んでしまう。
でも、あと少しで他の場所に植え替えられる。
そこでまた、緑色の雑草として生きていく。


クリエイター:acworksさん


2016年9月27日火曜日

一人ひとりの歴史

シミも皺も手の変形も白髪も身体にできた傷跡も心にできた傷も…、
全部生きてきた証。
ここまで頑張って来た証。
私にも、古びた部分がたくさんある。隠そうと思っても隠しきれないモノがある。


断片的に、見た目で、先入観で人を勝手に簡単に判断してはいけない。
1人ひとりには、他人が知らない知り得ない歴史があるのだから。
そういう風に見えるのには理由があるのだから。
そう言っている私も気を付けなければいけない。

2016年9月26日月曜日

悲劇のヒロイン、ヒーローになっている暇はない




自分の育った環境が自分では恵まれていないと思っていたり、新しく築いた家庭も自分にとって不本意だと思っていたり、仕事も自分にとってミスマッチだったと思っていたり、苦しく、辛くて、自己嫌悪に陥って、悲劇のヒロイン、ヒーローになって人のせいにしてなければやりきれなくて、書かなきゃ心のバランスが取れなくて…誰しもそんな状態になったことはあると思う。

私から見て恵まれている環境の人でさえもそういう状況に陥ることはあると思う。そのような状況に陥った人に対し「人のせいにするんじゃない!」と言い放つ人も中にはいる。

私も時々(頻繁に?)同じ様な状態になる時がある。だから、否定はしない。する立場でもない。

でも、嘆いていても時はどんどん進んでいく。大袈裟に言うと人生の終着駅に着くのなんてあっと言う間。

だから悲劇のヒロイン、悲劇のヒーローになっている暇なんてないんだ。

そう思っていても、時々、そのヒロイン、ヒーローに変身したくなる時もあると思う。

そんな時は、怖いけれど、自分の寿命を仮定して、あと何年しかないと思って見る。

例えば80歳まであと何年しかないと具体的に思ってみる。

そうすると、そんなことに浸っている暇はないという気持ちになってくる。

どうでもいい事で悩んでいる暇なんてないという気持ちになってくる。

人がどう思おうが知ったこちゃないという気持ちになってくる。

自分軸の人生を生きなきゃと言う気持ちになってくる。

最近私が見つけた悲劇のヒロインシンドロームから抜け出す方法。

あと何年もではなく、何年しかないと思ってみる。死を意識してみる。

そうすると自分を、自分の人生を積極的に生きようとする自分が現れて来る。

自分を大切にしようとする自分が現れて来る。

自分を大切にすると自分以外の人も大切にすることが出来る自分が現れる。



2016年9月20日火曜日

ピンチはチャンス?ピンチはピンチなんだ!

ピンチはチャンスと言うポジティブな言葉がある。

ストイックにモノゴトに取り組んでいくさま、自分を成長させる機会だと解釈して無理にポジティブ思考に変換させているさま。

でも、その訪れたピンチはそれほど重大なピンチではない。だって、そういう意欲が出せるくらいなんだから…。

本当のピンチはチャンスなんかじゃない。本当のピンチはピンチなんだ。

逃げろ、助けを求めろ、休めって事なんだ。

そこを間違えると取り返しのつかない事になるよ。

2016年9月18日日曜日

行き当たりばったりの人生

ある日ある時、好きな人ができて、ただ一緒にいたくて結婚をする。一緒に成長して、一緒に苦労をして、
一緒に年を重ねて行く。
こんな人生は今の時代、古くさくて通用しないのでしょうか。

どこそこの大学を出て家柄はどうのこうので、どこそこの会社で年収がいくらでという盾がある人でないとだめなんでしょうか。
どこそこの大学を出て家柄はどうのこうので、どこそこの会社で年収がいくらでという盾に魅力を感じた人と一緒に暮らす。それはそれでそこに魅力を感じて好きになったのだからいいのです。

でも、その盾が倒れた時、死にもの狂いで盾を修理したり、起こしたり、違う盾を持ってきて替えたりするという共同作業が発生する。
その時、その盾に魅力を感じて一緒になった人はそれでも見放さず、それでも一緒にいたい、一緒にいようと思うのでしょうか…

どんな道を選んでも、どんな人をパートナーに選んでも、100%理想道りになんかいかない。

こんなはずじゃなかったよと嘆いてばかりいても時間はどんどん進んでいく。潔く考え方、行動の軌道修正をしなければならない。

軌道修正の上手な人がいわゆる人生の勝ち組のような気がします。

結局、人生は行き当たりばったりということになると思う。行き当たりばったりの人生を上手く生き抜いて、
これで良かった、いい人生だったと最後に言いたい。