2016年9月29日木曜日

コトを荒立てる人


以前、私の職場でコトを荒立てる人という風に見られている人(評価されている人)がいた。今思えば、その人は当たり前のコトを言って改善を試みていたのに、当たり前のコトもせず改善しようともしなかった人が、自分の立場、現状を保つためにそう評価していたのに過ぎなかったのだと思う。



私も十数年前に、これから初めて一緒に仕事をする上司になる人から「いろんな人とやり合ってんだって…」と言われた事があった。

コトを荒立てる人と言うと、多くの方は、反発する人、協調性がない人、人との和を大切にしない人、空気が読めない人(私はこの言葉が嫌い、誰の為の空気?)という言葉が頭に浮かぶのではないでしょうか。

協調性があるコト、和を重んじるコトを履き違えて認識している人というのは、ある意味で影響力のある人、スクール・職場カーストで上位にいる人、マウンティングな人(と思われている人)に対して、自分の考え、意見、主張を言わずに(言えずに)、自分も誰も傷付けず、傷付かずにコトを済まそうとしているよう私には感じる。

先ほど書いた上司は、自分に対して逆らうコトの抑止力として私に釘を刺したのかもしれない。そりゃぁ、上司にとってイエスマンの方が都合いいですよね。でも、話したことも、ましてや一緒に仕事をしたこともないのに、噂だか吹き込みだか何だか知らないけれど、先入観で見られ、そんなレッテルまで貼られた私はいい気分ではなかったし、不信感と同時に、自分の心の中で上司でも尊敬できない人というラベルを貼らざるを得なかった。

ひと昔前なら、いわゆるコトを荒立てる人と言われていた人は、組織のお荷物的存在だと思われていた節があったのかもしれない。

でも、今ではインターネットの普及でいろんな人が違った考え、モノの捉え方を発信できるようなり、多くの人たちの目に触れる機会が多くなった。

 先日、私から見て、浅はかな発言を頻繁にする方がいて、いい加減うんざりしてしまい、私はついにいわゆるコトを荒立てる言動を取ってしまった。
その言動にはもちろん悔いはない。

私の言動は吉と出るか凶と出るか、その答えは直ぐには出ないと思う。
でも、何かしらに影響を与えたことは確かだと思う。

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