2016年12月28日水曜日

年賀状

年賀状、先ほど投函してきました。
今では、年賀状の作成はPCやプリンターがほとんどやってくれます。
私の住所録に載っているのは、ほとんどが個人情報の管理が厳しくなる前の方たちの情報です。新しく知り合った方たちにはメールで新年の挨拶をしたり、それか、なにもしていません。
以前は、職場で住所録を作成し配布していましたが、個人情報の保護の観点から今はではやっていません。
なので、年賀状を出す相手は減る一方で、以前よりは年賀状の作成は楽になったはずなのですが、少しの焦りはあるもの、心理の奥底で「PCがあるし…」という安心感があるのか、手書きでは一言メッセージを書くだけなのですが、毎年ギリギリになってしまいます。

PCやプリンターが普及していない頃、または、ない頃は自分で住所を書き、絵や文章も考えて書いたり、スタンプを使ったりしていました。とても時間がかかったのを覚えています。
めんどくさいなぁ…と思っていたそんな時代にプリントゴッコという画期的な商品が発売されました。もちろん私も購入して使っていました。版を作ってしまえば後はオリジナル感満載な年賀状が作れるのですが、ずぼらで不器用な私は結局、数回使った後、挫折して印刷屋さんに出すことを選択してしまいました。
その後、各家庭にPC、プリンターが普及し始めました。

他の人がPCで印刷した年賀状を送ってくれる中、毎年、プリントゴッコで作成した年賀状を送ってくれる友達がいます。彼女は普段から絵も字も上手な人でした。クリエイティブな彼女らしいデザインと手作りならではインクののりかた、インクの擦れ具合がなんとも言えない趣のある年賀状です。

数年前、彼女と他愛もない話をしていた時、「プリントゴッコのインクとか部品、もう取り寄せられないんだって…メーカーが作るのをやめちゃうんだって…」と悲しげな顔して言いました。もちろん、彼女の家にもPCやプリンターはあります。
でも彼女は、年賀状はプリントゴッコで作ることに決めていたんだと思います。
2016の元旦に貰った年賀状は、まだプリントゴッコで作った物でした。

来年の年賀状もプリントゴッコで作った趣のある年賀状だったらいいなぁ…
その後も…




プリントゴッコ事業終了について

平成24年12月28日
 
お客様各位
理想科学工業株式会社
当社は、平成24年12月28日をもちましてプリントゴッコ事業を終了いたしました。
プリントゴッコは、創業者 羽山昇が「すべての家庭で親子一緒に印刷ゴッコを楽しんでほしい」、「家庭における『ごっこ』遊びこそが知育の源泉である」との思いから開発し、自らが命名しました。昭和52年(1977年)に発売され、以来35年間にわたり多くのお客様に年賀状印刷や布印刷などで広くご愛用いただきました。
皆様の長年にわたるご愛顧に心より感謝申し上げます。
 ※理想科学工業株式会社御中のHPから引用しました。

2016年12月21日水曜日

私が考える家・家族の在り方

今日は、心穏やかに過ごせたと思う。
家族はそれぞれに学校、仕事と外でいろんな刺激を受けてくる。
特に、否定的な刺激は心身にダメージを与える。
家が港で外が海。
海は穏やかな時もあれば荒れている時もある。
海に出て、やっとこ港に帰って来て、自分のペースで時間を過ごす。
自分のペースで過ごせるということは、港ではその自分のペースという行為を否定する人、モノ、コトがないと言う事。
外でも家でも自分のことを否定されたら、やっぱりキツイよね…。
だから、家はお互いを認め合う場所、味方がいる場所だと思うのです。
家は、家族はそういう場所、存在でないといけないのです。
みんなそれぞれ頑張っているのです。みんな自分の命を生き抜こうとしているのです。

2016年12月18日日曜日

百戦錬磨が物を言う

今まで独り勝ちだった(と思っていた)人物がいる場所に、自分と違った考え方、やり方をする人物が入って来た。
その人物は百戦錬磨のつわものだった。
百戦錬磨の人物は当たり前のことを当たり前にこなしていた。百戦錬磨の人物は、自分の事を百戦錬磨だとは微塵も思っていなかった。それらは自然に身に着いていったモノだったから。
独り勝ちだった人物は、自分の経験と知識の範疇で百戦錬磨の人物のやる事を頭ごなしに否定し、浅はかな考えで発言したり、異なった指示を出した。
百戦錬磨の人物は、それ故に、その指示通りにするとどうなるかまで見透かしていた。
それ故に、時々反論する事もあった。時には見て見ない振りをすることもあった。
軍配が百戦錬磨の人物に上がることを快く思っていなかった今まで独り勝ちだった人物は、弱犬の遠吠えをするようになった。目つきも変わって来た。
百戦錬磨の人物はそれ故に、相手がなぜそのようになったのかを分かっている。
百戦錬磨の人物は、今、自分の身を守る手段をとっている。




2016年12月11日日曜日

不思議なピザの食べ方

息子が幼少の頃、ピザの具を下に向けて食べていた。家族の誰一人としてそんな食べ方はしていないし、教えた覚えもない。
「具が落ちそうだよ、何でひっくり返して食べるの?」と私が聞くと
「舌に具が付いて、味が分かるから」と息子が返した。
えっ!こんな小さいのに、そんな事考えて食べてたんだ。と私は思った。
ピザ以外の物の食べ方は特に気にならなかったけれど、気にならなかっただけで、気が付かなかっただけで、もしかして、息子なりの食べ方(味わい方)をしていたのかもしれない。

今日、朝ご飯(昼?)を食べながらテレビを一緒に見ていた時、ある芸人さんが焼き肉にタレをつけ忘れて、タレを箸に付けてあとで口に含んでいた。私はそれを見た時、息子が幼少の頃のピザの食べ方の思い出が記憶の引き出したから出て来た。

「○○(息子の名前)、味が分かるからって言って、ピザの具を下に向けて食べていたの覚えている?」と聞いたら、大人になった息子は「覚えているよ、ご飯の時におかずを先に食べるのと一緒。」と今度はまた違った答えを返してきた。

なるほど、ピザ生地は主に炭水化物で具は主にたんぱく質(脂質かな?)だもんね。
私も、食べ物を作る時や食べる時、美味しいということも然ることながら、食べ物の成分のことも気にする方かもしれないけれど、ピザを食べる時はそのまま、ガブッ!美味い!って感じで食べてるしなぁ~。

現在の息子のピザの食べ方ですが、具を上にしたままそのまま、水平に口に入れています。こんど何で一般的な食べ方になったのか聞いてみようと思います。
うちの理系君はどんな風に返してくるかなぁ…意外と普通の答えだったりして。
でも、普通ってなんだろなぁ~。。

2016年12月7日水曜日

クリスマスのエピソード

クリスマスが近づいて来ました。
私はクリスチャンではありませんが、この時期はにわかクリスチャンになります。
クリスマスの雰囲気を楽しむために、そういう方がほとんどなのではないかと思います。

この時期になると息子が幼かった頃のクリスマスのエピソードをいろいろ思い出します。それと相まって、クリスマス以外の子どもならでは可愛かった頃のエピソードも思い出の引き出しから出て来ます。(もちろん今でも我が子なので可愛いですよ…)
その中のエピソードをいくつか書いてみたいと思います。

息子が2~3歳頃のクリスマスイブにクリスマスパーティーを家で行い、息子が寝静また後、麻の袋にプレゼントのおもちゃを入れてベランダに置いておきました。
朝になり「なんか、ベランダでガサガサ言っていたよ、もしかしてサンタさんかなぁ…」と言いながら私は息子を起こしました。すると息子は飛び起き、窓を開けベランダに出てその麻の袋を見つけて部屋まで持って来て中身を見ながら「わーい!わーい!プレゼントだ、○○(自分の名前)が欲しかったのだー!」とニッコニコしながら開けていました。(この時はブロック系のモノだったと思います)
その麻袋の演出は2、3年続けたと思います。

小学校に上がるか上がる前の頃、ゲームが大好きで得意だった息子でしたが、ゲームはその頃ゲーム脳になるとかいろんな悪評が先行していて、ゲームはもっぱら実家にあるゲームや私のPCに入っているゲームをやっていました。そんな中で、息子は実家の誰しもがクリアー出来ないゲームをクリアーしたり飲み込みも早く、そしてその仕組みにも興味があったようです。長所を伸ばす為にもゲームを買ってあげようと考え、この年のクリスマスに初めて、クッラシュ・バンディクーのソフトとプレイステーションをクリスマスプレゼントに贈りました。
この時は、枕元に置いておきました。朝起きた息子はすかさず「わーい、○○(自分の名前)が欲しかったゲームだ!サンタさんありがとう!」といって大喜びしていました。
それから、このゲームを切っ掛けにいろんな子ども達が家に遊びに来るようになりました。その時に言った息子の言葉は「ゲームがお友達を連れて来てくれた。」でした。1人っ子の息子ならではの言葉だったのではないかと思います。

それからしばらくは事あるごとにゲームをプレゼントしていました。学校の成績は悪くはありませんでしたが、ゲームをする時間も多くなり親としての心配もあったので、息子にゲーム以外で何が欲しいか探りを入れて、小学校3年生のクリスマスプレゼントには電子辞書を贈ることにしました。
イブの夜、息子が寝静まった後、枕元にプレゼントを置きました。翌日、息子は起きると枕元にある四角い箱に気付き、ニッコニコしながら包みを開けていました。すると出て来たのがゲームではなく電子辞書という事がわかると「サンタさんは子どもが喜ぶものをプレゼントするんだよ…」と言い「ワーン!ワーン!……」と泣いてしまいました。私はプレゼントしたのに泣かれてしまったというショックとプレゼントで子どもを泣かせてしまったという罪悪感で切ないというか、なんとも言えない初めての感情を抱きました。
泣いている息子をなだめながら、使い方や便利さなどを話しましが、しばらく泣きやみませんでした。その電子辞書はあまり使われることもなく、何かの下敷きになってしまたのか液晶がおかしくなって使えなくなっていました。

息子はこの事を機にサンタはいないと分かったのか、その前からいないと分かっていたのかは知りませんが、それ以降のクリスマスプレゼント、事あるごとのプレゼントは読書も好きだったということもあり、自分の好きな本を買う事ができるように図書券を贈ることにしました。

ゲーム好きが功を奏したのかどうかは分かりませんが、理工系の学校に在籍している息子。今では「今度のクリスマスプレゼントさぁ~」とか言いながら自分で目の前にいるサンタにリクエストして来ます。

やっぱりクリスマスプレゼントは子どもが喜ぶものを贈らないとダメですからね。

クリスチャンの方もそうでない方も楽しいクリスマスを…(*^_^*)