2016年10月21日金曜日

会社という村社会

いつか読んだ、ある方のブログに、会社は村社会という言葉が書かれていた。
思わず、なるほどと思った。
村社会という言葉をぐぐってみたら以下のような文章が最初に出て来た。

1 有力者を中心に、上下関係の厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な村落。 の決まりに背くと「八分」などの制裁がある。 2 同類が集まり、ピラミッド型の序列の中で、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会を1にたとえた語。(そのままコピペしました)

例えば、住んでいる場所が居心地が悪いとなぁと感じていた場合、なぜ居心地が悪いのかを考えると思う。自然と何が原因か感じている場合もあると思う。その時の対策として、自分をその環境に順応させるか、我慢するか、引っ越すかなどの対応をすると思う。

石の上に3年という言葉がある。またまたググってみると
冷たい石でも三年間座り続ければ暖まることから転じて、何事にも忍耐強さが大切だということ。「三年」は三年ちょうどの意味ではなく、多くの月日を表している。「石の上にも三年居れば暖まる」ともいう。(そのままコピペしました)

以前は我慢が美徳と考えていた私ですが、長年生きて来て、いろんな経験して来て、過剰な我慢は美徳ではない、冷たい石の上に三年いたって暖まらない事もある、更に言えばそんなことしていたら石は暖まるかもしれないが自分の脚が痺れてしまうし、身体がおかしくなる、というに風に考えるようになった。忍耐強さは必要なスキルだと思う、あればそれに越したことはない。でもそれは何事にもではない。

自分がめざす場所、こうして自分は生きて行きたい、生きていくんだというコトがある人、人生をかけてこれを成し遂げたいコトが明確な人は、自分の掲げた目標と関係ない(関係があるかどうかは後になってみないと分からない場合もあるが…)、闇雲に我慢することは不毛だと考えるのかもしれない。

一度息子に「石の上のも三年って言葉があるでしょう、少し続けてみてだめだったらやめれば」的なことを言ったことがある。そうしたら「その時間が無駄」という返事が返って来たことがある。

就職して、数年で辞めてしまう人に、根性無しとか我慢が足りないとか言う人がいるけれど、そういうことで辞めてしまう人ばかりではないと思う。自分にミスマッチだと思ったら早い段階から見切りをつけて去って行く人も多いと思う。

一度きりの人生、自分が成し遂げたいもの・ことがある人、仕事が手段でなく目的だと思っている人、目的を達成するのに十分なスキルをもっている人は、居心地が悪く、自分とミスマッチな会社(場所)と感じたら、そこを去って行く(去ることができる)人は少なからずいると思う。

私の場合、生きて行くこと、生活していくことが目的であって、仕事は目的ではなく生きて行く為の手段となっている。その会社という村社会が私にとってミスマッチだと感じていても、よっぽどの事がない限り、今はしがみつくしかないのだけれども…

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