2016年12月28日水曜日

年賀状

年賀状、先ほど投函してきました。
今では、年賀状の作成はPCやプリンターがほとんどやってくれます。
私の住所録に載っているのは、ほとんどが個人情報の管理が厳しくなる前の方たちの情報です。新しく知り合った方たちにはメールで新年の挨拶をしたり、それか、なにもしていません。
以前は、職場で住所録を作成し配布していましたが、個人情報の保護の観点から今はではやっていません。
なので、年賀状を出す相手は減る一方で、以前よりは年賀状の作成は楽になったはずなのですが、少しの焦りはあるもの、心理の奥底で「PCがあるし…」という安心感があるのか、手書きでは一言メッセージを書くだけなのですが、毎年ギリギリになってしまいます。

PCやプリンターが普及していない頃、または、ない頃は自分で住所を書き、絵や文章も考えて書いたり、スタンプを使ったりしていました。とても時間がかかったのを覚えています。
めんどくさいなぁ…と思っていたそんな時代にプリントゴッコという画期的な商品が発売されました。もちろん私も購入して使っていました。版を作ってしまえば後はオリジナル感満載な年賀状が作れるのですが、ずぼらで不器用な私は結局、数回使った後、挫折して印刷屋さんに出すことを選択してしまいました。
その後、各家庭にPC、プリンターが普及し始めました。

他の人がPCで印刷した年賀状を送ってくれる中、毎年、プリントゴッコで作成した年賀状を送ってくれる友達がいます。彼女は普段から絵も字も上手な人でした。クリエイティブな彼女らしいデザインと手作りならではインクののりかた、インクの擦れ具合がなんとも言えない趣のある年賀状です。

数年前、彼女と他愛もない話をしていた時、「プリントゴッコのインクとか部品、もう取り寄せられないんだって…メーカーが作るのをやめちゃうんだって…」と悲しげな顔して言いました。もちろん、彼女の家にもPCやプリンターはあります。
でも彼女は、年賀状はプリントゴッコで作ることに決めていたんだと思います。
2016の元旦に貰った年賀状は、まだプリントゴッコで作った物でした。

来年の年賀状もプリントゴッコで作った趣のある年賀状だったらいいなぁ…
その後も…




プリントゴッコ事業終了について

平成24年12月28日
 
お客様各位
理想科学工業株式会社
当社は、平成24年12月28日をもちましてプリントゴッコ事業を終了いたしました。
プリントゴッコは、創業者 羽山昇が「すべての家庭で親子一緒に印刷ゴッコを楽しんでほしい」、「家庭における『ごっこ』遊びこそが知育の源泉である」との思いから開発し、自らが命名しました。昭和52年(1977年)に発売され、以来35年間にわたり多くのお客様に年賀状印刷や布印刷などで広くご愛用いただきました。
皆様の長年にわたるご愛顧に心より感謝申し上げます。
 ※理想科学工業株式会社御中のHPから引用しました。

2016年12月21日水曜日

私が考える家・家族の在り方

今日は、心穏やかに過ごせたと思う。
家族はそれぞれに学校、仕事と外でいろんな刺激を受けてくる。
特に、否定的な刺激は心身にダメージを与える。
家が港で外が海。
海は穏やかな時もあれば荒れている時もある。
海に出て、やっとこ港に帰って来て、自分のペースで時間を過ごす。
自分のペースで過ごせるということは、港ではその自分のペースという行為を否定する人、モノ、コトがないと言う事。
外でも家でも自分のことを否定されたら、やっぱりキツイよね…。
だから、家はお互いを認め合う場所、味方がいる場所だと思うのです。
家は、家族はそういう場所、存在でないといけないのです。
みんなそれぞれ頑張っているのです。みんな自分の命を生き抜こうとしているのです。

2016年12月18日日曜日

百戦錬磨が物を言う

今まで独り勝ちだった(と思っていた)人物がいる場所に、自分と違った考え方、やり方をする人物が入って来た。
その人物は百戦錬磨のつわものだった。
百戦錬磨の人物は当たり前のことを当たり前にこなしていた。百戦錬磨の人物は、自分の事を百戦錬磨だとは微塵も思っていなかった。それらは自然に身に着いていったモノだったから。
独り勝ちだった人物は、自分の経験と知識の範疇で百戦錬磨の人物のやる事を頭ごなしに否定し、浅はかな考えで発言したり、異なった指示を出した。
百戦錬磨の人物は、それ故に、その指示通りにするとどうなるかまで見透かしていた。
それ故に、時々反論する事もあった。時には見て見ない振りをすることもあった。
軍配が百戦錬磨の人物に上がることを快く思っていなかった今まで独り勝ちだった人物は、弱犬の遠吠えをするようになった。目つきも変わって来た。
百戦錬磨の人物はそれ故に、相手がなぜそのようになったのかを分かっている。
百戦錬磨の人物は、今、自分の身を守る手段をとっている。




2016年12月11日日曜日

不思議なピザの食べ方

息子が幼少の頃、ピザの具を下に向けて食べていた。家族の誰一人としてそんな食べ方はしていないし、教えた覚えもない。
「具が落ちそうだよ、何でひっくり返して食べるの?」と私が聞くと
「舌に具が付いて、味が分かるから」と息子が返した。
えっ!こんな小さいのに、そんな事考えて食べてたんだ。と私は思った。
ピザ以外の物の食べ方は特に気にならなかったけれど、気にならなかっただけで、気が付かなかっただけで、もしかして、息子なりの食べ方(味わい方)をしていたのかもしれない。

今日、朝ご飯(昼?)を食べながらテレビを一緒に見ていた時、ある芸人さんが焼き肉にタレをつけ忘れて、タレを箸に付けてあとで口に含んでいた。私はそれを見た時、息子が幼少の頃のピザの食べ方の思い出が記憶の引き出したから出て来た。

「○○(息子の名前)、味が分かるからって言って、ピザの具を下に向けて食べていたの覚えている?」と聞いたら、大人になった息子は「覚えているよ、ご飯の時におかずを先に食べるのと一緒。」と今度はまた違った答えを返してきた。

なるほど、ピザ生地は主に炭水化物で具は主にたんぱく質(脂質かな?)だもんね。
私も、食べ物を作る時や食べる時、美味しいということも然ることながら、食べ物の成分のことも気にする方かもしれないけれど、ピザを食べる時はそのまま、ガブッ!美味い!って感じで食べてるしなぁ~。

現在の息子のピザの食べ方ですが、具を上にしたままそのまま、水平に口に入れています。こんど何で一般的な食べ方になったのか聞いてみようと思います。
うちの理系君はどんな風に返してくるかなぁ…意外と普通の答えだったりして。
でも、普通ってなんだろなぁ~。。

2016年12月7日水曜日

クリスマスのエピソード

クリスマスが近づいて来ました。
私はクリスチャンではありませんが、この時期はにわかクリスチャンになります。
クリスマスの雰囲気を楽しむために、そういう方がほとんどなのではないかと思います。

この時期になると息子が幼かった頃のクリスマスのエピソードをいろいろ思い出します。それと相まって、クリスマス以外の子どもならでは可愛かった頃のエピソードも思い出の引き出しから出て来ます。(もちろん今でも我が子なので可愛いですよ…)
その中のエピソードをいくつか書いてみたいと思います。

息子が2~3歳頃のクリスマスイブにクリスマスパーティーを家で行い、息子が寝静また後、麻の袋にプレゼントのおもちゃを入れてベランダに置いておきました。
朝になり「なんか、ベランダでガサガサ言っていたよ、もしかしてサンタさんかなぁ…」と言いながら私は息子を起こしました。すると息子は飛び起き、窓を開けベランダに出てその麻の袋を見つけて部屋まで持って来て中身を見ながら「わーい!わーい!プレゼントだ、○○(自分の名前)が欲しかったのだー!」とニッコニコしながら開けていました。(この時はブロック系のモノだったと思います)
その麻袋の演出は2、3年続けたと思います。

小学校に上がるか上がる前の頃、ゲームが大好きで得意だった息子でしたが、ゲームはその頃ゲーム脳になるとかいろんな悪評が先行していて、ゲームはもっぱら実家にあるゲームや私のPCに入っているゲームをやっていました。そんな中で、息子は実家の誰しもがクリアー出来ないゲームをクリアーしたり飲み込みも早く、そしてその仕組みにも興味があったようです。長所を伸ばす為にもゲームを買ってあげようと考え、この年のクリスマスに初めて、クッラシュ・バンディクーのソフトとプレイステーションをクリスマスプレゼントに贈りました。
この時は、枕元に置いておきました。朝起きた息子はすかさず「わーい、○○(自分の名前)が欲しかったゲームだ!サンタさんありがとう!」といって大喜びしていました。
それから、このゲームを切っ掛けにいろんな子ども達が家に遊びに来るようになりました。その時に言った息子の言葉は「ゲームがお友達を連れて来てくれた。」でした。1人っ子の息子ならではの言葉だったのではないかと思います。

それからしばらくは事あるごとにゲームをプレゼントしていました。学校の成績は悪くはありませんでしたが、ゲームをする時間も多くなり親としての心配もあったので、息子にゲーム以外で何が欲しいか探りを入れて、小学校3年生のクリスマスプレゼントには電子辞書を贈ることにしました。
イブの夜、息子が寝静まった後、枕元にプレゼントを置きました。翌日、息子は起きると枕元にある四角い箱に気付き、ニッコニコしながら包みを開けていました。すると出て来たのがゲームではなく電子辞書という事がわかると「サンタさんは子どもが喜ぶものをプレゼントするんだよ…」と言い「ワーン!ワーン!……」と泣いてしまいました。私はプレゼントしたのに泣かれてしまったというショックとプレゼントで子どもを泣かせてしまったという罪悪感で切ないというか、なんとも言えない初めての感情を抱きました。
泣いている息子をなだめながら、使い方や便利さなどを話しましが、しばらく泣きやみませんでした。その電子辞書はあまり使われることもなく、何かの下敷きになってしまたのか液晶がおかしくなって使えなくなっていました。

息子はこの事を機にサンタはいないと分かったのか、その前からいないと分かっていたのかは知りませんが、それ以降のクリスマスプレゼント、事あるごとのプレゼントは読書も好きだったということもあり、自分の好きな本を買う事ができるように図書券を贈ることにしました。

ゲーム好きが功を奏したのかどうかは分かりませんが、理工系の学校に在籍している息子。今では「今度のクリスマスプレゼントさぁ~」とか言いながら自分で目の前にいるサンタにリクエストして来ます。

やっぱりクリスマスプレゼントは子どもが喜ぶものを贈らないとダメですからね。

クリスチャンの方もそうでない方も楽しいクリスマスを…(*^_^*)

2016年11月23日水曜日

母の誕生日

今日は勤労感謝の日
私の亡くなった母の誕生日でもある。
改めて考えてみると、母は私を20代前半で産んでいたんだ..。
当時はそれが当たり前だったのかも知れない..。
でも、今の時代は選択肢が多すぎて、結婚、出産なんかまだまだ考えられない。と言う方の方が多いのかなぁ~..。選択肢云々と相反して雇用不安もあるしね..。
今、私は母が働いていた場所の近くに住んでいて、時々、制服姿で働く母の姿を思い出しています。
働きながら私と弟を育ててくれた母..。途中で不可抗力のとある*型肝炎を発症し、定年まで勤め上げることができなかったけれど、感謝しています。
生きている時は、素っ気ないふりばかりして、感謝の気持ちも上手く表現できなくてごめんね..。
あなたの孫は、私を反面教師にしたのか、私や旦那に、自然と感謝の気持ちを言動に表してくれています..。
あなたの孫が生まれたとき、「私がやって上げたことをやってあげればいいんだよ」って言いましたね..。
その時、正直言って「なんかしてくれたっけ?」と思ってしまいました。
でも、子育てしていくうちに分かったんです。私が自然と出来ているコトがあったんです。
それは、食事のコトをキチンとしてあげているコト。
母はどんなに忙しくてても、(家の中は掃除が行き届かず少々乱れていましたが)食事だけはキチンと3食、食べさせてくれました。冷蔵庫や収納棚には食材がいつもある状態になっていました。
仕事帰りに買い物袋を両手に持った母の姿が目に浮かんできます。(今はネットスーパーがあり私は大変助かっていますが..。)
作れない時は、置き手紙があり、お金がおいてありました。(今は携帯電話、メールで伝えられますね..。)
自分の子どもに食事の栄養面のコトを考えキチンと与える。
食事をキチンと摂取すると言うことは、健康維持、精神の安定にもつながります。
それは、勉強する上で、将来仕事をする上で、生きていく上で最も土台となるものなのです。
なんでもそうですが土台がしっかりしていなければ、後は崩れて行くだけです..。
何だか話が飛躍&横道にそれてしまいましたが..。
おかあさん、ありがとう..。
あなたの娘とあなたの孫は、あなたがやってくれたコトに感謝しながら、力強く元気に人生を歩んでいます。安心してください..。 
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クリエイタ―:はむぱんさん

2016年11月20日日曜日

白髪ファンデーション

私は、年齢の割に白髪は少ない方だと思う。
でも最近、ちらほら白髪が出て来た。
特に髪を結った時などに‘あっ!白髪がある’っていうくらいに分かるようになってきた。
一時はブラシ付きの白髪かくしを使用したり、マスカラで代用したりしていたが、ブラシが付いているとせっかく結んだか髪の毛が乱れてしまうのだ。
そこで何かないか探していたところ白髪ファンデーションというモノを発見。
アマゾンでどれが良さそうか品定めをして、これを使ってみようと思ったのがこれ

彩髪 メーク ダークブラウン
  • 出版社/メーカー: ―
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
  • この商品を含むブログを見る
 
 取引先名が不明となっていたけど、レビューは高評価で星が4つ半だったため購入することにした。

早速、届いたので開けてみると
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パッケージ裏には日本製で製造元と発売元も書かれていた。
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で、中身はこんな感じ…
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ダークブラウンを頼んだけれども、見た感じも塗った感じもダークグレーっぽかった。
でも、私にはマッチしていたので良かった。

使った感想は、ちょこっと出ている白髪の上をなぞると髪も乱れることなく白髪が隠せました。
とってもグッドな買いものができました。
ただ、あまり浸透していないので不思議な目で見られてしまうので気を付けてね。
(マスカラで白髪隠しをしていた時も不思議な目で見られたけれど…私の場合、不思議な目で見られるのは慣れているけれどね。)
よかったらお試しあれ♫

2016年11月15日火曜日

社会不適合者って…?

社会不適合者ってなんでしょうね。
社会の仕組み、教育の仕組みがおかしかったらいわゆる不適合者が出て来るのはあたりまえなんじゃないのかなぁ~…
不適合者が本当はまともだったりする場合もあるんじゃないのかなぁ~…
生物で考えるとその環境に対応していけないモノは生き残れないのが常。
でもその自然環境を変えている原因の一つは人間だったりする。
頭が良いとされている人間自身が、生物全体の不適合を生み出しているような気がする。
 私も人間だけれども…

2016年11月13日日曜日

お助け鉄板皿(ステーキ皿)

最近、鉄板皿にはまっています。
そうです、ファミレスに行った時など、ハンバーグやステーキを頼むとジュージュ―言わせた料理が乗って来るあのお皿です。(お皿といっていいのかなぁ…)
料理をするのは嫌いではないけれど(得意かどうかは別)、私は、食器洗いがあまり好きではありません。
仕事をしているのでと言うとこのご時世、主婦で仕事をしている方は沢山いるし、言い訳がましくなるし…
はっきり言ってしまうと、めんどくさがり屋なので、なるべく洗い物を少なく済ませたい派なのです。小鉢などに入れた料理が何品も並んでいる食卓が理想なんでしょうけれど、ストレスになる自分には似つかわないことはやらない事にしています。

でも、健康の為にも、めんどくさがり屋でも時短で美味しいものをバランス良く食べたい。
そこで見つけたのが、そのまま料理してそのまま出せる鉄板皿です。

以前、美味しく作れるという理由で鉄のフライパンを買って使ったことはあるのですが、フライパンとして使ったあとの手入れが面倒で挫折してしまったことがあります。
でも、調理したあとそのまま出して、食べ終わったらすぐ洗って、火をかけて乾かして、油を塗って定位置に置いておき、またすぐ使うというサイクルが出来る鉄板皿は、ものぐさな私にとってのすごーいお助け調理アイテムなのです。
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シンプルで見栄えがあまり良くない料理ですが、時短でシンプルで美味しくできる鉄板皿ブームは当分続きそうです。鉄分不足の方にも鉄の調理アイテムは良いみたいですよ。

アマゾンで購入しました。

2016年11月10日木曜日

自律神経と意志(意思)

身体が思うように動かせるのってそれだけで幸せ。
絶不調な時は、休み休み、騙し騙し動いたりしていた。
途中でエネルギーが切れて、思うように動けなかった。頭も働かなかった。

でも最近、若い時に比べて体力はなくなってしまったけれど、持続的に動けるようになって来た。

絶不調の原因は、今になって思えば、なんだかんだ言っても蓄積されたストレスが根底にあると思う。

更年期障害、婦人科系疾患、低血糖症自律神経失調症抑うつ状態…いろいろドクターショッピングもした。

全てに何か関係しているものがある。それは、すべてがホルモンに関係している。
ホルモンは自律神経に支配されている。過剰なストレスは自律神経を混乱させる。

絶不調になる前、自分はもっと頑張れるはず、ストレスの免疫を付けるんだ、自分をもっと強くするんだ、なるべく我慢するんだ、好きになろうと努力するんだ…と自分自身をストイックに追い込んでいる自分がいた。

でも、自律神経は自分の意志(意思)に追いついて来なかった。自律神経は私の意志(意思)にそっぽを向いた。自律神経にそっぽを向かれた。

そして私は知った。自律神経にそっぽを向かれた私は、自分自身なのに自分自身をコントロールできないことに。意志(意思)だけではどうにもならない事に。

自律神経は自分自身の中にあるけれど、自分自身の一部なのに自分自身ではないような所。でも、それが本当の自分自身なのかもしれない。

自分自身が自分自身にそっぽを向かれる。自分の意志(意思)ではどうすることもできずに苦しかった。辛かった。

でも、その経験は私にいろんな事を教えてくれた。人間は理性的に生きなければいけな一方で動物としての本能の声にも耳を傾けなければいけない事、理性と本能のバランスをうまく取りながら生きて行かなければならない事、子どもに身をもって教えて上げられる体験であった事。

疲れたら休む、お腹が空いたら食べる、眠かったら寝る、好きなモノは好き、嫌いなモノは嫌い、イヤなモノはイヤ、笑いたい時に笑う…

そんな心身の反応に背いてばかりいると、自分自身が自分自身にそっぽを向かれるのです。

もうごめんです。

2016年11月7日月曜日

紅葉

紅葉って綺麗ですよね。
紅葉したあとは、葉が落ちて土にかえる。
紅葉して落ち葉になって、土になって、次の若葉の為の養分になる。
私は、紅葉は色鮮やかだと思う一方で、命のはかなさを考えてしまう。感じてしまう。
紅葉のシーズンにどっちらけですね…。

2016年11月4日金曜日

自分軸

昔はあんな人じゃなかったよね…っと
私も言ったことあります。
今思うとそれは相手が変わって自分が変わっていない時、変われなかった時だったと思います。

あんな人って…何?
その人にとって都合が悪くなるとあんな人になるのか、
お人好しでなくなるとあんな人にになるのか、
自分軸で生きようとするとあんな人になるのか…。
でも自分軸と自分勝手とは違うことくらい分かっていますよね。分かって言っていますよね…?
私はあんな人って言われてもいいです。自分軸で生きて行くと決めたんですから。


2016年11月2日水曜日

上司は教育者ではない

上司だからって、人間が出来ているわけではない。
上司だって、生活の為働いている。
中には、自分の出世の為に人を潰そうとする人だっている。
職場を良くする為に意見すれば、自分に意見した者として、プライドを傷付けた者として報復する人もいる。
ニコニコしているその笑顔の裏側に、そのふとした一瞬の表情の中に、どす黒いモノが見え隠れする。
企業とはそんなもの。
だからってへいこらしない。

2016年10月26日水曜日

上澄みだけの答え

頭の回転が速いってなんだろうね…。
言った事に対して、すぐに返事ができること?
質問に対して、すぐに正解っぽいことが返ってくること?
一見それは、頭の回転が速い、仕事が速い、切れがいいなどと思われがちだけれど、
上澄みだけをすくった答えを出す人っていませんか…?
私はそういう人が苦手です。

2016年10月21日金曜日

会社という村社会

いつか読んだ、ある方のブログに、会社は村社会という言葉が書かれていた。
思わず、なるほどと思った。
村社会という言葉をぐぐってみたら以下のような文章が最初に出て来た。

1 有力者を中心に、上下関係の厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な村落。 の決まりに背くと「八分」などの制裁がある。 2 同類が集まり、ピラミッド型の序列の中で、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会を1にたとえた語。(そのままコピペしました)

例えば、住んでいる場所が居心地が悪いとなぁと感じていた場合、なぜ居心地が悪いのかを考えると思う。自然と何が原因か感じている場合もあると思う。その時の対策として、自分をその環境に順応させるか、我慢するか、引っ越すかなどの対応をすると思う。

石の上に3年という言葉がある。またまたググってみると
冷たい石でも三年間座り続ければ暖まることから転じて、何事にも忍耐強さが大切だということ。「三年」は三年ちょうどの意味ではなく、多くの月日を表している。「石の上にも三年居れば暖まる」ともいう。(そのままコピペしました)

以前は我慢が美徳と考えていた私ですが、長年生きて来て、いろんな経験して来て、過剰な我慢は美徳ではない、冷たい石の上に三年いたって暖まらない事もある、更に言えばそんなことしていたら石は暖まるかもしれないが自分の脚が痺れてしまうし、身体がおかしくなる、というに風に考えるようになった。忍耐強さは必要なスキルだと思う、あればそれに越したことはない。でもそれは何事にもではない。

自分がめざす場所、こうして自分は生きて行きたい、生きていくんだというコトがある人、人生をかけてこれを成し遂げたいコトが明確な人は、自分の掲げた目標と関係ない(関係があるかどうかは後になってみないと分からない場合もあるが…)、闇雲に我慢することは不毛だと考えるのかもしれない。

一度息子に「石の上のも三年って言葉があるでしょう、少し続けてみてだめだったらやめれば」的なことを言ったことがある。そうしたら「その時間が無駄」という返事が返って来たことがある。

就職して、数年で辞めてしまう人に、根性無しとか我慢が足りないとか言う人がいるけれど、そういうことで辞めてしまう人ばかりではないと思う。自分にミスマッチだと思ったら早い段階から見切りをつけて去って行く人も多いと思う。

一度きりの人生、自分が成し遂げたいもの・ことがある人、仕事が手段でなく目的だと思っている人、目的を達成するのに十分なスキルをもっている人は、居心地が悪く、自分とミスマッチな会社(場所)と感じたら、そこを去って行く(去ることができる)人は少なからずいると思う。

私の場合、生きて行くこと、生活していくことが目的であって、仕事は目的ではなく生きて行く為の手段となっている。その会社という村社会が私にとってミスマッチだと感じていても、よっぽどの事がない限り、今はしがみつくしかないのだけれども…

2016年10月16日日曜日

一流って何?

何も持って一流というのか。
大企業だと一流というのか。
その企業が一流の仕事をしていなくても一流というのか。
名前が通っていれば一流というのか。
いわゆる偏差値の高い高校・大学、その他教育機関を一流というのか。
偏差値になんの意味があるのか。
まんべんなくいろんな事ができないと一流じゃないのか。
まんべんなくいろんな勉強をしないと一流じゃないのか。
何かに突出した才能を持っている人は一流じゃないのか。
何かに突出した才能を持ち、それを自分自身も分かっていて、それを活かして生きている人も一流だと思う。その人こそ、その人だって一流だ。
人には得意分野、不得意分野がある。向き不向きがある。
それに逆行してまで、自分に嘘をついてまで得意なふり、向いてるふりをする必要があるのか。
偏差値優先教育、偏差値優先社会なんてクソくらえだ!
人がなんと言おうが、自分の人生が一流だと思っていればそれでいいではないか。
 クリエイタ―:うっちん☆さん

2016年10月10日月曜日

さよなら今年の夏

お弁当に入れていた保冷剤。
通勤途中の暑い日に、時々お弁当入れから取り出して、首筋に当てたりして重宝していた。
乾いたのでしまいます。
また来年ね...
さよなら今年の夏、こんにちは今年の秋

2016年10月8日土曜日

例えばの人生

例えば、大好きだった趣味中心の人生を継続し謳歌していたら、幸せだっただろうか…。
例えば、仕事の出世にこだわった人生を送っていたら、幸せだっただろうか…。
例えば、ブランド品を身にまとい自分を着飾ることに執着をもった人生を送っていたら、幸せだっただろうか…。
例えば…。
いままで築きあげた物事を手放さなければならない、執着を捨てなければならなくなった時、もったいなく思い、そして、私が今まで持っていた物事を持っている人が羨ましく思えた時期があった。
誰も何にも言っていないのに、誰も何にも思っていないのに、誰も私のコトなんか気にしてないのに、劣等感と自己否定の感情を抱いて勝手に自爆している自分がいた。
でも、手放してしばらくしたら、これから築き上げなければならない物、こだわらなければならないコトに自然と取り組んでいた。
それは、私という人物にふさわしい生き方だった。身の丈にあった人生を生きるということだった。
例えばの人生を送る為に、タイムスリップしたいですか?と今の自分に問いかけてみる。
「いいえ、今の自分が好きだからこの人生がいいです。」という答えが返ってきた。
今まで、もちろん楽しいコトもたくさんあった。でも、悩んで、もがいて、這いつくばってやっとここまでやってきた。
過去は振り返らないとは言わない。過去があって今の私があるから。
たまに、後ろを振り返りながら、自分の生きざまを確認しながら、これからも人真似ではない自分の道を歩いて行く。

2016年10月5日水曜日

ロンちゃん

ロンちゃんは私が高校生の時に我が家(実家)にやって来たヨークシャテリアの犬。
生後2カ月の時に我が家の一員となりました。
毎日、ロンちゃんのいる家に帰るのが楽しみでした。

「お散歩!」と言うと耳をピーンと立て、ピョンピョン跳ねて、言った人に付きまとい、
その反応が可愛くて、おもしろくて、くり返し言っていました。
言ったからには、お散歩に連れて行ってあげなければ裏切り行為になるので、約束通り連れて行きました。

お散歩は、放し飼いに出来る海によく連れて行きました。
海に放すと、放したとたんに全速力で楽しそうに「はぁはぁ」舌を出しながら走っていました。

そのうち「海!」「ザッブーン」と言う言葉にも耳をピーンと立てて反応するようになりました。

ある日、家の近所の公園に連れて行った時、小学3、4年生くらいの男の子が「抱っこさせて」と言ったので、「いいよ」と言ってロンちゃんを渡しました。しばらくすると、その男の子はロンちゃんをわざと下に落としました。落としたと言うより投げ落としたという感じでした。ロンちゃんは「キャンキャンッ!」と泣いて、しばらく歩けませんでした。その子に「どうしてそういう事するの?」と聞くと、その子は下を向いたままでした。
 少し離れた所に友人と話しているその子の母親がいて、その鳴き声を聞き「あらあら…」と言っていました。というか言っただけでした。
「抱っこさせてっと言ったから抱っこさせてあげたのに、下に落したんです。」と告げると「エ~?」っとこれまたそう言っただけ。まぁ、その様子を一部始終見ていなかったわけだからそういう反応をしたのかもしれませんが…(その男の子の現在が気になるところですが…、あと母親も…)
 そのあと脚の状態が心配だったので、病院に連れて行くと、骨には異常がないということでしたのでホットしましたが…(そのせいかどうかは分かりませんが、晩年には脚が曲がってガニ股っぽくなっていました。)

そんなことがあってからも、海にはよく連れて行きました。相変わらず元気よく走りまわる姿を見て安心していました。

ロンちゃんは、特に珍しい一芸はなく、お手とお座りは彼氏が根気よく教えてできるようになっていました。
お世話は、ほとんど私の母がやっていました。


そんな我が家のアイドルだったロンちゃんも、私に息子が生まれてからはアイドルの座を私の息子に奪われてしまいました。

みんながロンちゃんの存在を忘れて息子のことを構っている時、ふと、ロンちゃんの方に目を向けると、ペタンとして寂しそうな表情をしていました。

それでも、ロンちゃんは息子が泣いていると吠えて教えてくれたりしました。
遊んでくれているのか、やきもちなのか分からなかったけれど、時々、息子の足をガリガリと引っかくこともありました。(そんなキツクではありませんが…)
 そんな時は息子を抱き上げ、ロンちゃんから遠ざけました。その時も、ペタンとして寂しそうな表情をしていました。

息子が成長してからも、何度もロンちゃんのいる実家に遊びに行きました。

アイドルの座は息子である、そんなことは既に分かって悟っていたのか、老化も拍車をかけていたのか、だんだんおとなしくなって行ったロンちゃん。

晩年は白内障、腎臓結石(手術2回)なども患い、最後の1年くらいは食事以外は寝て過ごしていました。

私は、実家に行ってもロンちゃんの存在を気にかけるのを忘れてしまっていたり、行っても頭を撫でて上げなかったりして、今思うと寂しい思いをさせてしまっていたのかもしれません。(体力がなくなっていたので、抱っこすることはタブーでしたが、頭は撫でてあげるべきでした。)

ロンちゃんが亡くなった日、母から泣きながら電話がかかって来ました。
「ロンちゃんが死んじゃった…」って…

最後は母の腕の中で「ク―ン!」と精一杯の声をふり絞っていたとの事です。それが「ありがとう」って言っているみたいだったよ…と母は言っていました。
それは、ロンちゃんにしか分からないけれど、そう思いたいです…。

それでもロンちゃんは17年間生きました。犬の中では長寿の方です。

私は、犬はもちろん動物は大好きです。でも、もう飼いたいとは思いません。
仕事をしていて、日中家に誰もいなくて寂しい思いをさせたくないということと、一番の理由はお別れが悲しいから…

ロンちゃん、楽しい時間をありがとう…。

※小学生の作文のような文章ですみません。

アマゾンプライムのCMを見ると、犬の大きさは違いますが、ロンちゃんのことを重ね合わせてしまいます。 





※息子が生後2週間くらいの時のロンちゃんとの写真です。
 アナログ写真をスマホで撮りました。