見え過ぎちゃって困るの…という歌詞が流れているコマーシャルが私が子どもの頃ありました。
その頃の情報収集と言えば、テレビ、ラジオ、週刊誌、新聞、本、噂などがありました。噂などは、今になってみれば真実であるかどうか分からないにもかかわらず信じ てしまったりしていたように思えます。そう思うと怖い時代だったのかも知れません。
今の時代は色んな情報が瞬時で分かり、怖いもの見たさ、興味本位で情報を収集することもできます。また、一方の情報だけでなく、自分が不審に思ったりした場合は相反する情報も収集することができます。人は自分が信じたい物を信じる傾向にあるようですから、自分の都合のいいような情報をピックアップしている場合もあるので注意が必要だと思います。
私は以前(今も?)、世間知らずなほうで、自分の世界の中で生きて来ました。
でも、今はインナーネットで情報を収集出来ると言う手軽さから、検索癖が付いてしまっています。(情報を提供して下さる方の御苦労には感謝しています。)
でも、知らない方が幸せだったのかも…と思える情報もあるような気がします。
15年間、野生という世界の中で生きて来たトトが、偶然、真琴という少女に発見され、親切心(トトにとってはどうだったかは…?)から、いわゆる人間らしく生きるための言葉、感情などを教えられ覚えて行きます
印象的だったのは最終回で真琴が言う「トトの世界で生きていたほうが幸せだったんだ」といったようなセリフです。
私はいろんな情報が見え過ぎて辛くなる時、このドラマとこのセリフが頭の中に流れます。
見え過ぎる情報、見てしまった情報を全部受け入れるには、私の能力、人生のキャパではオーバーになってしまう時があるのです。時にはそんな小さなキャパしかない自分に対して自己嫌悪に陥ってしまい苦しくなってしまう時があります。
また、30年以上前の映画‘ミラクル・ワールド ブッシュマン’。ブッシュマンの集落に自家用機のパイロットが投げ捨てた1つのコーラの瓶をきっかけに集落の中で見苦しい争いが発生してしまいます。水を運んだり、楽器になったり、なめし皮の模様付けの道具になったりと魔法のような道具化したたった1つのコーラの瓶は便利差と引き換えに醜い争いごとを連れて来てしまいます。
知らなければ知らないなりに、なければないなりに、生活して生きて行けたはずなのに、コンビニエンス、情報過多になった現在に私たちは翻弄させられる時があります。
好奇心旺盛で何でも知りたがり吸収したい人、なんでも効率的に物事を考える人には良い時代なのかも知れません。
でも、知らない方が良かった、ない方が良かったと思う事は誰にでもあると思います。
でも皮肉なことにそれが分かるのは知ったあと、持った(あった)という経験をした後なのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿